協力者の募集について
- 2015/01/21
- 09:41
このたびサイトを更新し、下記ページを追加致しました事、ご報告申し上げます。
■天心流兵法公式サイト「協力者の募集」
http://tenshinryu.x0.com/supporter.html

ガイドラインはサイトにてご説明した通りですが少々補足などさせて頂きます。
江戸期より連綿と受け継がれた古武術というのは、日本が世界に誇るべき伝統文化の一つです。
天心流兵法はその中でも、寛永に誕生した比較的古い歴史を有する流儀であると共に、その由緒から技法体系に至るまで、石井先師が「他流と異なる流儀」であると繰り返し述べられていたように、大変独自性の高い稀有な流儀です。
私は流儀を相伝しておりますが、流儀は師家の私物ではありません。
門人各々もまた流儀の一部にせよ受け継いでいる紛うことなき当代の伝承者であると位置づけております。
多くのご助力を頂きまして、私が入門当時に比べますと、多くの門人が集う流儀となりました。
ですが何人集まればそれで安泰であるという事は言えません。
流儀の存在をより多くの方々に認知して頂くと共に、この価値を認めて頂く事が、失伝を防ぐ大きな力になります。
これまでは運営を基本的に門人の手によってのみ行って参りましたが、より一層の活動を考えた時に、修業者以外のご協力を積極的に求めていくべきではないかと思い至りました。
前述の通り、現在の天心流が御座いますのは、多くの方々のお力添え、お導きがあっての事ですが、今後は積極的に協力者を募りまして、流儀運営をあらゆる角度からサポートして頂きたいと思います。
修業者がなくては実伝としての天心流を伝承する事は出来ません。
しかし同時に、天心流兵法という世界に誇るべき文化遺産は、修業者が専有するべきでもないと私は考えております。
と申しましても、ここでは外向きの開かれた流儀という意味ではありません。
内向きに開くという程の意味です。
流儀との関わりあいというのは、必ずしも剣を手に取るばかりではありません。
これまでもブログ等に書いて参りましたが、twitterをフォローして頂く事、ブログを読んで頂く事、動画をご覧頂く事、演武をご覧頂く事…そういったすべてが天心流を後世に伝える助力となります。
そしてさらに積極的な形…流儀の運営携わって頂く協力者の方々をお招きする事が出来れば、これ以上心強い事はありません。
剣を振らずとも、伝統と共にあって、伝統を共にふれあい、伝統を共に遺す。
そういった方々も天心流の継承者です。
■ 伝承のための土台作り
私が入門した当初、数える程も門人は居らず、失伝の危機を常に肌で感じておりました。
その頃に比べると門人は増えておりますが、流儀を伝承していく土台が出来上がったとは到底言い難い状態です。
そういう意味では危機感は今も大きくは変わりません。
本来、天心流兵法の相伝印加には二十年以上かかると言われております。
次代の継承者を複数名育てなければ、やはり安定的な伝承は望めません。
複数名の相伝印加者から師家を選出するという方式の確立を目指しておりますが、それには稽古環境を整えなければなりません。
少々ネットでの広報が目立っているだけで、実際の所はとても慢心出来る状況ではありません。
門人が運営に四苦八苦して稽古に専念できないようでは、相伝など到底叶いませんから切実な問題なのです。
こういった試みが初めての事ですので、実際どういった形になるのかはわかりません。
いずれの協力にしても、希望があれば正式な門人として迎え入れます。
(もちろんそれは稽古を行うという意味ではありません)
まずはサイトのメールフォームよりお問い合わせなど頂ければ幸いです。
■ 一夜賢者
こうした試みに対して憂慮される方もいらっしゃるかと思います。
時代に即した変化であり、必要な決断だと考えての事ですが、前途を危惧されるのは当然の事かもしれません。
もし成功したとしても、いずれマイナスに転ずる危険性もあります。
しかし未来のことは未来の自分たちに、或いはその先の伝承者たちに委ねるしかありません。
システムを如何に工夫したとしても、完全なものは存在しませんし絶対なものもありません。
未来がわからない以上、結局その時の状況を見極めて今為すべき事をし、未来はその時の伝承者に委ねるしかないのです。
ある意味では無責任にならなければ何も出来ません。
仏教に 「一夜賢者経」というお経があります。
「過去を追わざれ
未来を願わざれ
過ぎ去れるはすでに捨てられ
未来は未だ至らず
ただ現在の法をその場その場に観察し
揺ぐなく、動ずるなく
そを了知して修習せよ
ただ今日まさになすべきことを熱心になせ
誰か明日の死を知らん
まことにかの死の大軍と会わずということなし
かくのごとく住して
熱心に昼夜懈怠なきもの
これをバーデカラッタなりと人はいう」
(中部経典一三一)
バーデカラッタとは一夜賢者と漢訳されていますが、原語意では「現在を完全に生きる努力をする人」という程の意味です。
未来は誰にもわかりませんが、それでも為すべき事を見極めて進まなければなりません。
願わくば、未来において、確固たる天心流伝承者たちの手によって、流儀が末永く反映する事を…と祈るばかりです。
■天心流兵法公式サイト「協力者の募集」
http://tenshinryu.x0.com/supporter.html

ガイドラインはサイトにてご説明した通りですが少々補足などさせて頂きます。
江戸期より連綿と受け継がれた古武術というのは、日本が世界に誇るべき伝統文化の一つです。
天心流兵法はその中でも、寛永に誕生した比較的古い歴史を有する流儀であると共に、その由緒から技法体系に至るまで、石井先師が「他流と異なる流儀」であると繰り返し述べられていたように、大変独自性の高い稀有な流儀です。
私は流儀を相伝しておりますが、流儀は師家の私物ではありません。
門人各々もまた流儀の一部にせよ受け継いでいる紛うことなき当代の伝承者であると位置づけております。
多くのご助力を頂きまして、私が入門当時に比べますと、多くの門人が集う流儀となりました。
ですが何人集まればそれで安泰であるという事は言えません。
流儀の存在をより多くの方々に認知して頂くと共に、この価値を認めて頂く事が、失伝を防ぐ大きな力になります。
これまでは運営を基本的に門人の手によってのみ行って参りましたが、より一層の活動を考えた時に、修業者以外のご協力を積極的に求めていくべきではないかと思い至りました。
前述の通り、現在の天心流が御座いますのは、多くの方々のお力添え、お導きがあっての事ですが、今後は積極的に協力者を募りまして、流儀運営をあらゆる角度からサポートして頂きたいと思います。
修業者がなくては実伝としての天心流を伝承する事は出来ません。
しかし同時に、天心流兵法という世界に誇るべき文化遺産は、修業者が専有するべきでもないと私は考えております。
と申しましても、ここでは外向きの開かれた流儀という意味ではありません。
内向きに開くという程の意味です。
流儀との関わりあいというのは、必ずしも剣を手に取るばかりではありません。
これまでもブログ等に書いて参りましたが、twitterをフォローして頂く事、ブログを読んで頂く事、動画をご覧頂く事、演武をご覧頂く事…そういったすべてが天心流を後世に伝える助力となります。
そしてさらに積極的な形…流儀の運営携わって頂く協力者の方々をお招きする事が出来れば、これ以上心強い事はありません。
剣を振らずとも、伝統と共にあって、伝統を共にふれあい、伝統を共に遺す。
そういった方々も天心流の継承者です。
■ 伝承のための土台作り
私が入門した当初、数える程も門人は居らず、失伝の危機を常に肌で感じておりました。
その頃に比べると門人は増えておりますが、流儀を伝承していく土台が出来上がったとは到底言い難い状態です。
そういう意味では危機感は今も大きくは変わりません。
本来、天心流兵法の相伝印加には二十年以上かかると言われております。
次代の継承者を複数名育てなければ、やはり安定的な伝承は望めません。
複数名の相伝印加者から師家を選出するという方式の確立を目指しておりますが、それには稽古環境を整えなければなりません。
少々ネットでの広報が目立っているだけで、実際の所はとても慢心出来る状況ではありません。
門人が運営に四苦八苦して稽古に専念できないようでは、相伝など到底叶いませんから切実な問題なのです。
こういった試みが初めての事ですので、実際どういった形になるのかはわかりません。
いずれの協力にしても、希望があれば正式な門人として迎え入れます。
(もちろんそれは稽古を行うという意味ではありません)
まずはサイトのメールフォームよりお問い合わせなど頂ければ幸いです。
■ 一夜賢者
こうした試みに対して憂慮される方もいらっしゃるかと思います。
時代に即した変化であり、必要な決断だと考えての事ですが、前途を危惧されるのは当然の事かもしれません。
もし成功したとしても、いずれマイナスに転ずる危険性もあります。
しかし未来のことは未来の自分たちに、或いはその先の伝承者たちに委ねるしかありません。
システムを如何に工夫したとしても、完全なものは存在しませんし絶対なものもありません。
未来がわからない以上、結局その時の状況を見極めて今為すべき事をし、未来はその時の伝承者に委ねるしかないのです。
ある意味では無責任にならなければ何も出来ません。
仏教に 「一夜賢者経」というお経があります。
「過去を追わざれ
未来を願わざれ
過ぎ去れるはすでに捨てられ
未来は未だ至らず
ただ現在の法をその場その場に観察し
揺ぐなく、動ずるなく
そを了知して修習せよ
ただ今日まさになすべきことを熱心になせ
誰か明日の死を知らん
まことにかの死の大軍と会わずということなし
かくのごとく住して
熱心に昼夜懈怠なきもの
これをバーデカラッタなりと人はいう」
(中部経典一三一)
バーデカラッタとは一夜賢者と漢訳されていますが、原語意では「現在を完全に生きる努力をする人」という程の意味です。
未来は誰にもわかりませんが、それでも為すべき事を見極めて進まなければなりません。
願わくば、未来において、確固たる天心流伝承者たちの手によって、流儀が末永く反映する事を…と祈るばかりです。